5000万円物語

【第8話】労働に恐怖を覚えた

第8話:労働に恐怖を覚えた

その後、僕は地元で有名な自動車製造工場に就職しました。

ここでの作業は、
主に流れてくる自動車に座席シートを取り付けたり、
ボルトを締め付けたり、
タイヤをつけたりする仕事でした。

そのときの職場の上司は20年以上働くベテランで、
仕事に人一倍厳しい人でした。

裏では「鬼」とあだ名が付けられていました。

そして僕は「鬼」に目の敵にされました。

入社して右も左もわからない僕に、
工場の流れ作業の一番最初の作業場を任命してきました。

その流れ作業のレーンには、
500人を超える人が一列に並んで作業をします。

僕はその最初の作業場なので、
そこで作業が遅れてしまうと
次の作業場の人に未完成のまま仕事を渡すことになるので、
無理矢理レーンを止めます。

そうなると500人から

「遅い」「こっちは残業したくないんだバカ野郎」

と工場中に怒号が響き渡ります。

僕は無我夢中で遅れた進捗を取り戻そうと、
必死に作業をしました。

レーンを止めていることが僕と言うことを知った鬼は、
近くにあった工具箱を蹴り飛ばし、
舌を巻いて説教をしてきました。

そして進捗が戻り、
再びレーンが動き始めましたが、

鬼は僕の後ろで腕を組んで
また失敗しないか閻魔のごとく監視をしています。

そして僕がまたレーンを止めると500人が工場中で文句を叫び、
近くにいた鬼は舌打ちをして近くに寄ってきて
僕の顔に1センチくらいまで近づけて怒鳴ります。

今日は帰れると思うなよと台詞を吐き捨て、
僕の元を去っていきましたが、
これがあと40年も続くとなると途方に暮れました。

でもお金を稼がないと生活できないので、
僕は全力を振り絞ってレーンを止めないように、
毎日流れてくる自動車に部品をつけ続けました。

夏は朝2リットルの水を3本購入して作業場に置き、
1日で6リットルほどの水を飲み干しました。

6リットル飲んでもすべて汗となって体から排出されるので、
業務終了まで一度もトイレに行きませんでした。

完全なるロボットです。

そういった激務を長期的に続けていると、
体重が激減していきました。

70キロあった体重は58キロまで落ち、
友人に会うたびに

「薬でもやってんのか?」

と言われるほどやつれていきました。

ある日いつものように全力を振り絞って作業をしていると、
バチンと体のなかで破裂音が聞こえ、息ができなくなりました。

レーンはすべて止まり、
500人以上が文句を叫びちらかします。

鬼が瞬間移動してきたかの如く僕の横に立ち、
罵声を浴びせますが僕はその場から立てなくなりました。

その場で倒れ込み、
会社の中にある病院(工場の中に病院がある)に運ばれました。

病名は「重度の肺気胸」

肺に穴があいて肺から空気が漏れ、
タイヤのパンクのように肺が萎むため、
胸痛や息切れが生じる病気です。

これは1日とかで治る病気ではないため、入院が決定。

電話でその旨を鬼に伝えると、
土日で治してこいと言われ、
電話を一方的に切られました。

最終的にこの病気で20日ほど入院しました。

そのとき僕はその工場を辞めることを決め、
入院中に退職届を書きました。

退職届を鬼に渡すと、

「お前は迷惑かけっぱなしのクソ人間だな」

と言われ、30分ほど説教を受けました。

そのときは辞める決意をしていたので、
僕には馬の耳に念仏でした。

その後は別の自動車製造工場で働きました。

その自動車製造工場は
従業員10人程度のこじんまりした職場でした。

しかし会社の社長は、

従業員の給料をピンハネする、
社長の失敗をすべて従業員になすりつける、
社長の機嫌が悪いと休日出勤を無料で虐げられる

という三国志でいう董卓のような暴君でした。

特に従業員の少ない給料をピンハネしているのは、
人間のすることではありませんでした。

平成も終わりに差し掛かっているのに、
いまだに給料を振り込む手数料が勿体ないと言う、
なんとも器の小さい理由でひと月の労働のお給料が手渡しです。

残業代ももちろん未払い。

給料明細はエクセルで小学生が作ったような始末。

給料の端数は毎回切り捨てられ、
給料袋に小銭が入っていたことは今まで一度もありません。

僕は勇気を出して、
社長と戦うために労働基準局に電話することを決意しました。

その時知ったのですが、
労働基準局はなぜか平日の昼間しか、
電話対応を受け付けていないのです。

呆れました。

平日の昼間ブラック会社で働いている人は
そのまま相談もすることすら許されず、
定年を迎えて死んでしまうのかと思いました。

僕はそれでも状況を変えたく、
いつも工場から抜け出すチャンスを伺っていました。

まだかまだかと待ち侘び、
そしてある日チャンスが舞い降りてきて、
僕は工場から脱走をし労働基準局に電話をしました。

しかし電話をしたものの、

「そういう悪い会社の相談はよくあるので、頑張ってください」

と言われ、電話を2分で一方的に切られました。

奈落の底へ叩き落とされました。

さすがに労働基準局は僕の味方をしてくれるかと思いきや、
話すらも聞いてもらえなかったのです。

自動車工場は海岸沿いにあるので、
僕はそのまま歩いて防波堤に行きました。

そこには延々と広がる海がありました。

世界はこんなにも広いのに、
僕の人生でもっとも輝かしい時期を、
この薄暗い工場の中で過ぎ去ってしまうのは
本当にそれでいいのかと思いまいた。

僕の中に、
人間をやめたくないという強烈な思いが
湧き起こってきました。

僕は心底恐怖に震えていました。

なぜ日本はこんなシステムがまかり通っているのか、
ワケを知りたくなりました。

就職して定年まで働くことは、
自殺と同義だとこのとき本気で思いました。

僕は労働することに恐怖を覚えました。

思い返せば、これまでにいくつもバイトを経験する中で、
僕がこうなりたいと憧れるような労働者は一人もいませんでした。

第9章へ続く。

【第9話】僕はネットビジネスで生きていこうと思った ・第1話:はじめに ・第2話:僕の人生からサラリーマンという選択が消えた ・第3話:月収500万円の憂鬱 ・第...

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